白鵬の立ち合いの変化は卑怯なのか これからの相撲の行方





史上最多、36度目の優勝の快挙を成し遂げた横綱白鵬。優勝を決めた千秋楽の結びの一番が物議を醸し出している。

横綱日馬富士との横綱対決で白鵬はまさかの左への変化。手に汗握る展開を誰もが想像していたが、あっけない幕切れに館内はざわめいた。

優勝インタビューで白鵬は涙を流しながら、「申し訳なく思います」と謝罪コメントを残し、相撲ファンが望まない大一番となってしまったことへも一定の理解を示した。

はたして、勝ち方にこだわらなかった白鵬は間違っていたのか。角界は「神事としての相撲」なのか「スポーツとしての相撲」なのか、難しい選択を迫られている。

神事としての相撲はプロレスに性質が似ている。もちろん勝敗はあるのだが、それ以上に観客はプロセスを楽しむ。立ち合いまでの形式的な所作、がっぷりと組み合う力士、番狂わせが起きると座布団が飛び交う。神事としての相撲は日本的な神秘性、ある種の予定調和を感じ、それがこれまで歴史を繋いできた1つの要因でもある。


一方、スポーツとしての相撲はそうはいかない。100メートル走で一位の走者に「王者の走り方とはいえない」などという観客はいない。誰がどのようなプロセスでチャンピオンになるのかわからないという緊張感がスポーツの醍醐味だ。白鵬はスポーツとしての相撲を選択した。

わたしが思うことは、間違いなく白鵬は引退を意識した取り組みに変わりつつあるということだ。31歳というのはスポーツ選手としては落ち目の年齢だ。技もあるがやはり力の衰えは相撲、とりわけ横綱の相撲にとって致命的である。

先場所は琴奨菊の優勝に国内が湧いた。それほど、日本人力士の優勝は珍しいものになってしまった。白鵬の立ち合いは勝利に対する角界の考え方に一石を投じそうだ。

皆さんは白鵬の変化をどう考えますか?そして、自分が白鵬なら満身創痍で臨む大一番にどう立ち合いますか?コメントを頂けるとありがたいです。

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